たかしの自己紹介2
たかしの自己紹介の続きです。
中学~学生
中学になったぐらいから、
父親が家業を継ぐようによく言っていました。
兄がいるのですが、たかしの方が向いてると判断したんでしょう。
しかし、早く親離れしたいと願っていたこともあって継ぐ気はありませんでした。
勉強は普通よりは少しいいぐらい。
入れる大学はあったでしょうが、高校出たら働くと決心していました。
なので即戦力と見られるように、工業高校へはいりました。
実際は即戦力とは程遠いですが、多少は専門的な勉強ができました。
しかし、就職活動で学校にくる求人票は初任給でガックリ・・・
親父の下で働いた方が稼げるかもしれない・・・
求人票には大卒・専門卒の初任給も記載されていました。
専門学校へ行こう!
父親の猛反対を受け、
金を出さないといわれましたが母親が出してくれました。
親離れどころかスネかじり。
当時人手不足が予想されていた、コンピュータ関係の専門学校へ入りました。
専門学校では、数学や英語もありましたが、
工業高校では専門教科が多いため習っていない(真面目にきいてなかっただけ?)部分が・・・
それでも、大学入れなくて来てる人も多くて普通に過ごせました。
成績順でクラス別けされたのですが、
上位クラスであったため、中にはなんで大学行かずにここへ?という奴もいました。
就職はすんなり
専門学校では寮に入ってました。
寮はTVすら持ち込めない、門限あり等の成人間近の学生ではありえない厳しさでした。
そういうのもあって、寮生というのは学校では苦学生的に見てくれる先生もいたんです。
そういうアドバンテージもあって、
クラスではトップぐらいに就職内定頂けました。
ギリギリ就職氷河期ではなかったです。
もちろんコンピュータの会社です。
就職
実力さえあれば、なんとでもなる。
そう思って必死に働きました。
専門学校の勉強はあまり役に立っていませんでしたので、一から勉強。
残念ですが、就職するための学歴でしかなかったのかもしれません。
プログラムを作ったり、設計するのはそこそこ出来るようになりました。
技術力より交渉力?
プログラムを作成する技術は入社してから学んできたのでそこそこ成長しました。
でも、経験を積む毎にその技術が評価に値しなくなっていました。
- お客様から仕事を頂く交渉
- お客様との折衝
など、
磨いてきた技術は、プロジェクト管理のための礎であって絶対的なものではなくなっていきました。
なんだか苦手でした。
続きます(最終更新:2009.10.25)
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